番組審議会議事録

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番組審議会の審議内容を中心に紹介し、皆様からの意見も募集しています。


2004年3月15日(月)開催 / 第465回番組審議会より
報道特別番組「告白〜私がサリンを撒きました〜オウム10年目の真実」について
18時55分〜21時48分

議題

諮問事項
 放送基準改正について
審議事項
 1.3月5日(金)午後6時55分〜9時48分放送
報道特別番組「告白〜私がサリンを撒きました〜オウム10年目の真実」について
 2.その他

出席者(敬称略)

委員長生田正輝 
副委員長沼田早苗 
委員池田守男 音 好宏 篠塚英子 ねじめ正一 山藤章二 

局側出席者

 井上社長・若林常務取締役

 財津常務取締役・城所常務取締役

 児玉常務取締役・岡元報道局長・田代編成局長

 玉置編成考査局長・田澤番組審議会事務局長

 信国プロデューサー

諮問事項

◇前回(第464回)事務局より諮問した、民放連(日本民間放送連盟)放送基準の改正について、放送法第3条の4の3に基づき、審議会として原案通り答申した。
答申にあたり、委員長より特に「放送基準の社内での一層の周知徹底」を求める発言があった。

◇報道特別番組「告白〜私がサリンを撒きました〜オウム10年目の真実」
3月5日(火)午後6時55分〜9時48分放送

番組内容について

◇空前の被害をもたらした地下鉄サリン事件から10年。実行犯の弟子たち、そしてかつての教祖・麻原彰晃こと松本智津夫被告にも死刑判決が言い渡された。しかし、何故あれほど多くの若者たちがオウム真理教に惹かれ、入信していったのか、その「心の闇」は依然解明されていない。番組では、かつてのエリート医師から地下鉄サリン事件実行犯へと転落した林郁夫受刑者に焦点をあて、徹底・厳密な取材に基づき、林受刑者が逮捕後密室の取調室で如何に心を開いたかをドラマを交えて再現。「事件を風化させてはならない」というメッセージを込めて、オウムの闇に迫った。

◇オウム事件は、「松本サリン事件」を含め、報道のあり方に多くの問題を提起した。
TBSが「坂本弁護士ビデオ問題」を抱える中で、敢えて腰を据えてじっくり取り組んだことを評価したい。「報道特別番組」と銘打って「ドキュドラマ」という手法を使う是非は議論が分かれるだろうが、今回に関して言えば、「オウム事件とは何だったのか」という社会的背景を考えていくと、ドラマでなければ説明が出来ない部分が出てくる。CXの「ザ・ノンフィクション」という番組でも、アニメでこの問題をとらえようとしていた。今回もドラマで問題の本質をあぶり出そうとしたことが非常に成功したと思う。

◇林受刑者を美化し過ぎてはいないか。林受刑者を演じる平田満の名演に引き込まれると、余りにも綺麗な話に終わってしまって、実態を見えなくしている。
やはり最後は、「なぜ林受刑者がこういうことを起こしたのか」あるいは「オウムのもたらしたもの」について、例えば養老孟司氏の様な識者の締めが必要だ。養老氏は東大医学部教授の経験を踏まえて、「戦前から戦後にかけて、日本が繁栄の中で、全く立ち止まって反省しないで来た、その一番の見本が、林受刑者にある」と積極的に発言している。
一番足りないのは、あれほど頭脳明晰な医師が、麻原被告の何処に琴線が触れて心酔するようになったかが描かれていないこと。
刑事と2人だけの関係で、彼が本当に心を開いていったのか。親・妻子との関係はどうだったのかも踏み込んで欲しかった。

◇関係者への取材が行き届いていた。裁判長の短いインタビューからも、500日を超える審理を費やした思い、あるいは被害者・家族の切々たる思いが伝わった。ただ、オウムが日本の社会構造の中で何故存在し得たのか、家庭・教育・宗教などの背景への切り込みが足りない。「信教の自由」の問題があるとはいえ、あの実態を許して本当に良かったのか。
普通心臓外科医・脳外科医は自然の驚異・人体の神秘に打たれて、背後にある「神の存在」を感じるという人が多い。林受刑者がそれ以前に「解脱」という自分を高める「自己中心」に進んだことに、一般的ではない「暗い闇」を感じる。真の友人・兄事すべき人物がいたのか。そういう欠落に切り込めば、彼が心を開く過程が一層浮き上がってきたように思う。

◇TBSは、この作品に打って出て正解だった。この機会にオウム問題に腰の引けた姿勢を見せれば、ずっと批判が尾を引いただろう。
現実のニュース映像と再現ドラマを絡ませた場合、ドラマの方が「作り」が目立って白けてしまうことが殆どだが、今回は現実と演技ががっぷり四つになって、互いに譲らない。時に演技部分の方が、リアリティにおいて勝っており、クオリティの高い作品に仕上がっていた。「公判記録と取材に基づく」といっても、現実というものはそれほど都合よくドラマ的ではない。その複雑な枝ぶりを、剪定の腕で見事に切り落として、見晴らしのいいドラマになっていた。
刑事役の西田敏行は過剰な演技と表情を殺し、林受刑者役の平田満もまことに巧く、「逆に吸い込まれてしまう若者がいるのでは」と思うほど魅力的な人間を演じるなど、演出も行き届いていたと思う。

◇林受刑者に焦点を絞ったことで、余計なものを殺ぎ落として、人間の情に訴えてグングン押していく。実際、見ていて1時間位の感じだった。
被害者の奥様である高橋シズヱさん、假谷さんのご家族が、事件を受けとめながら成長してこられたこともよく判り、事実の厚みに感動した。
宗教には聖俗両面があり、いつしか俗に対しては目を伏せ、聖に没入していく力が「教義」にはある。オウムの「教義」とは何だったのか。当時、オウムを支持していた文化人たちが、今何を考え、どう思っているかを取り上げれば、もうひとつリアリティが加わったのではないか。

◇西田敏行の演じた刑事がいなければ、この事件は多分まだ混沌としたものになっていたのではないか。その心の広さ、人の心を溶かしていく魅力を痛感した。死刑を望まなかった高橋さんの奥様の揺れ動く気持ちも大変よく判り、やるせなかった。いまだに信者たちが活動しているのだから、この番組が彼らを洗脳から解きほぐすのに役立てばという思いで見た。

◇非常に事実に忠実に再現されたドラマということだが、「どこまでが事実で、どこまでがドラマなのか」ということが、いつも気にかかる。
問題の社会的背景に関連するが、現在の医学教育とは何だろうか。非常にミクロな医学は大変進歩したが、マクロな医学、フィロソフィー、人間とどう向き合うかということでは決して十分ではない。今「インフォームド・コンセント」と言うが、医学界全般で「あんな秀才が、どうして」という事件が、確かに多い。医学教育そのものの大切さを改めて痛感した。


番組審議会事務局